周りに精神障害だということを隠しながら生きているとある20代女

精神障害者、中卒フリーター、周りに必死に隠しながら生きています。自分のことだったり。ゆるーく書きます!

退院後、再入院、からの

 

 

祖父母が住んでいる県にある病院を退院後、

大学病院の精神科に受診することになりました。

退院後1週間くらいでまた被害妄想が出るようになり

大学病院の先生から実家の近所にある精神科を勧められ

そこに再入院することになりました。

 

最初に入れられた病室は保護室でした。

前回入院した病院は割と新しめで設備などが綺麗だったのですが

そこはめちゃめちゃ古くからあるのか

過去に入院した患者さんが書いたとみられる壁の落書きを消した跡がたくさん残っていたり、トイレが使い古されてる感満載でちょっと汚くて、

まあ、最悪でした。

夜になると雰囲気がとても怖くて最初の1週間は保護室だったのですが

ほぼほぼ眠れませんでした。

 

今回の入院の時は被害妄想は少しあったものの、

自分が病気だということが自覚できるようになって

主治医の先生とはしっかり意思疎通が出来るようになっていました。

なので食事のとき以外も職員の方に申し出れば

テレビがみられる場所に行くことも出来たし、割と自由でした。

1週間経ち安定してきたので

一般病棟に移ることになりました。

両親が団体部屋だと落ち着けないだろう、ということで

個室を選んでくれていたみたいで

個室に移動になりました。

そこの個室は壁がものすごく薄くて、昔団体部屋だったところに

部屋の真ん中に板を入れて個室にしました!って感じのっていうか

多分そうだったんだと思うけど、

壁じゃなくて板レベルの薄さだったので

隣の部屋の方が面会で誰か来た時は話し声が丸聞こえでした笑

やっぱり田舎の精神科には若い患者さんが少なかったので

私は他の患者さんに話しかけられることがとても多かったです。

時にはセクハラめいたことを男性患者さんにされることもあったので

隣の病室のおばちゃんがよく助けてくれていました笑

このおばちゃんと、このおばちゃんも仲良しの患者さんと

仲良くなり、自由時間の時や、食堂での食事のときも一緒にいました。

入院から3週間ほど経った時、新しく入院してきた人がいました。

女性だったのですが、普通は新しく入ってくると大体保護室に1度入れられるのですが

定員がいっぱいだったのか、一般病棟にいました。

かなり状態が悪そうで、夜になるとテレビのある場所で暴れ回るので

患者さんも近寄らないようにみんな病室に戻っていました。

私の病室は3階にあったのですが

その患者さんは夜になると3階まで暴れ回り、私の病室のドアをガチャガチャして侵入しようとして来ました(かなりホラー)

幸い、私は鍵を閉めていたので無事だったのですがめちゃめちゃ怖かったです。

いやいや、この人保護室に入れるべきでしょwと思っていたのですが

実害がなかったので我慢していました。

翌日お昼も食べ、おばちゃん達とテレビをみていたら、

あの患者さんが近くの喫煙所にいました。

なにやらぶつぶつ話していましたが、何を言っているのか聞き取れなかったので

警戒しながらも普通にテレビをみていました。

ふと見てみるとこちらをじーっと見ていたので目が合ってしまいました。

そしたら患者さんがいきなり喫煙所から出てきて猛スピードでこちらに走ってきました。

「お前ふざけんじゃねぇぇぇえよ!!!¥∀”<゜ИЁР」(後半何言ってたか分からない)

と言って私に飛び蹴りをかましてきました。

傍にいたおばちゃんが素手でその人の足を掴んでくれたおかげで

私は蹴られずに済んだのですが

他の患者さんも見ていたのですぐ看護師さんを呼んできてくれて

その患者さんはナースステーションに連行されていきました。

私はとにかく恐怖で、怖かったのですぐ個室に戻りました。

おばちゃんが心配してくれたのか個室に来てくれて

大丈夫?と気にかけてくれました。たくさんお礼を言いました。

夕方になって母が面会に来てくれて、看護師さんが事情を話していたので

母にも心配されました。ものすごく怖くて震えていたので今日は食堂でご飯食べられないかもしれないと言うと、職員さんに伝えてくれて、

その日の夜は看護師さんに部屋までご飯を持ってきてもらいそこで食べました。

その日は眠れなかったです。

 

次の日主治医の先生がやってきて、その患者さんは主治医の受け持ちの患者さんだったらしく、私の判断で危ない目に合わせてしまい申し訳ないと謝られました。患者さんは保護室行きになったらしく、職員がちゃんと見ているので安心してください。と言われました。保護室だとあの人も出られないし、安心できるな、とホッとしました。そして○○さんも安定して落ち着いているのであともう少しで退院出来ますよ、と言われました。

 

退院はとても嬉しかったです。

ですがおばちゃんたちと会えなくなるのがとても寂しくなりました。

こんな私に「○○ちゃんは優しくて素直でとてもいい子だからこれからなんとかなるよ。若いんだからやり直せる、頑張って」と声をかけてくれて

それまでどん底の気持ちだったのでとても救われた気持ちになりました。

今でもとても感謝しています。

退院日が決まったことを報告したら、もう1人の男性患者さんもその日が退院日だったので前日の夜にお菓子をたくさんテーブルに広げて

ちょっとしたパーティーを開いていただきました。

退院したらなにしたい??とか色々聞かれました笑

その時の入院はとても楽しかったです。

退院後、1週間に1度の通院のときに、

薬を服用か、1ヶ月に1度の筋肉注射にするか、と提案されました。

私は注射が苦手ではなかったので毎日服用しないで済むなら

筋肉注射で、と選択しました。

この判断が間違っていたのかもしれません。

 

 

 

次回、再再入院。

 

 

 

入院生活

 

 

 

 

 

 

前回の記事の続きです

 

2.入院生活

 

急に入院と言われ、夜になりましたが寝ることなんて出来ず

私は看護師さんを呼び出して、寝れません、こんなとこにいたくないとか言って

結構暴れました 笑 他の人の病室に入ったりして助けを求めたり。

色々とやばかったです 笑

 

目が覚めたときそこがどこだか分かりませんでした。

家の天井じゃないし、祖父母宅の天井でもない、

ここはどこだ、なんでここにいるんだ、とパニックになりました。

部屋を見渡すとカメラのようなものがついています。

部屋を出ようとすると鍵が掛かっていました。

自分が置かれた状況を理解できません。

ベットの横にインターホンのようなものがついていたので押しました。(ナースコール)

「〇〇さん、どうされました?」

どうされたも何もどういうこと?なんて言えず黙っていたら

看護師さんが病室に来ました。朝ごはんも一緒に配膳されました。

「私、どうしてここにいるんですか?」

震えた声で言ったと思います。

「〇〇さん、入院になったんですよ。」と

入院証?入院届?とりあえず紙を渡されました。

その紙には保護入院ということや病名が適応障害統合失調症というふうに書かれていました。

自分が入院?しかも精神病?冗談じゃない、何かの間違いでしょ、と

更に頭がパニックになりました。

そのまま看護師さんは退室し、ガチャっと鍵を閉められて、

ひとりになりました。

もちろん朝ごはんなんて喉を通りません。

ひとつも手をつけなかったと思います。

そのまま3日間、病室にいました。

2日目の朝、いつもの状態に戻りました。

ああ、そっか、私はおかしいんだ、精神病なんだと自覚しました。

私が部屋の外に出られたのはお風呂のときだけです。

家族から届けられた服とタオル、シャンプーを介護士さんに持たされ

大浴場のようなところに案内されました。

私の他にはおばあさんが二人いました。

私みたいな若者が珍しかったのか、あなたも入院してるの?と聞かれました。

久々のお風呂だったのですごくホッとしたのを覚えています。

その後また病室に戻され、そろそろお昼かなと思っていたところ

「今日から食事は他の患者さんとも一緒に食べましょう」と言われました。

私は昔から人と一緒に食事をするのがあまり得意ではなかったので

え、、?となりました。なりましたが病室の外に出られるのはいい事なので

看護師さんに着いていきました。

広い部屋に大きなテーブルが何個もあって、そこに椅子がある感じです。

奥にはテレビがあって、そこをいつも自由時間やOT(作業療法)の時に使っている感じでした。

病院食を食べ終わるとここに記入して、と言われ自分の名前の横にご飯を何割食べられたか記入しました。

それから看護師さんにこれから自由時間だけど、病室に戻ってもいいし、ここで塗り絵や勉強でも何でもしていいよ、と言われました。

 

そして病室が団体部屋になりました。

そこは4人用の部屋だったのですが40代くらいの女性と70代くらいのおばあさんがいました。2人は簡単に自己紹介してくれて、何か困ったことがあったら言ってね、と言ってくれました。この病室は私が入院当日の夜暴れて、間違えて訪問したあの病室でした。

2人は本当に親切で食事の時も一緒のテーブルに入れてくれて、OTの時も一緒にいてくれました。

だんだんと他の患者さんともお話できるようになり、特に私は中学生で若かったので

娘や孫のように可愛がられました。

ですが何人かの男性患者さんにセクハラのような発言をされたり、延々とその人の昔話をされたり、やっぱりここはやばい人の集まりなんだな、と思いました。

 

その病院では病院食以外はおやつの時間か面会の時間にしか食べられない決まりでした。

売店があったので介護士の方と一緒に買ったり、面会の時間に叔母や祖父母が持ってきてくれたチョコなどを食べてました。

面会に来てくれた叔母に泣かれた時はどうしていいか分かりませんでした。

母方の祖父母も来てくれて、父方の祖父母も来てくれました。

父方の祖父は片足が無くて、なかなか家から出ない人だったので

来てくれてすごく嬉しかったです。4年前に亡くなったので今思い出してめっちゃ泣きそう…笑

父も来てくれました。母はショックを受けたのか、まだ私には会えないので車で待っていたみたいです。

父は入院する前のことや入院生活など色々聞いてくれました。学校のことや受験のことは気にしなくていい、ゆっくり休めばいいと言ってくれました。

入院生活にも慣れた頃、先生と面談がありました。

もう落ち着いているし、退院してもいいだろう。

父が仕事休みの来週の土曜日、退院しようということになりました。

病室が一緒の患者さんに言うと、良かったね、でも寂しくなる、と言ってくれました。

他の患者さんもおめでとう!と祝ってくれてその日の夜は色々お話しましたね。

退院日になって、祖父母と両親が迎えに来てくれました。

もう受験も無理だし、将来どうなるのか分からないけど

とりあえず家に帰ってゆっくりしたい、

両親と車で家まで帰りました。

 

 

次回は退院後編です!

 

 

 

 

私が精神科に入院するまでの話。

 

 

 

 

 

 

前の記事で私は過去についてまだ過去になっていないから書かないと言っていたのですが

文字にしてみて過去にすることが出来るかもしれない、と思ったので

過去について書いてみたいと思います。

私は過去に病んでいました。

今も薬を服用しながら生活をしていますが

普通の人と何ら変わらない生活を送れています。

 

そんな私ですが

今まで精神科への入院を4回経験しています。

その時のお話を綴ろうかと思います。

 かなり長くなります。⤵︎ ︎こんな感じ。

  1. 精神科に入院するまで
  2. 入院生活
  3. 退院後
  4. 再入院
  5. その後

 

 今回は

1.精神科に入院するまで

まず私は小学校高学年の頃から登校拒否をしていました

理由はちょっとしたいじめがあったからです。

といっても私がいじめられていた訳ではなく、

私と仲のいい子がいじめられていました。そして私はいじめていた子とも仲が良かったので助けることも出来ず、傍観者でした。というか加担しているように見えていたと思います。次第に教室に入りたくない、学校に行きたくないと思うようになり

登校拒否になりました。

最初は親に学校行きなさいと促され、毎日手を引っ張られて泣いて「行きたくない!」と

叫んでいました。

負けて学校に行くこともありましたが

そんな状態が何ヶ月も続いたので次第に親も諦めたのかあまり言わなくなりました。

6年生になると週の半分以上を家か保健室で過ごし授業に参加することは少なくなりました。

担任の先生の勧めもあって、修学旅行には参加しました。

ですがその時にも仲のいい子はハブられて

違うグループにいました。

違うグループに居場所が見つかったのか、そこでとても楽しそうにしていました。

私はすごく取り残されたような気持ちになりました。

修学旅行が終わってからは割と学校に通ってたと思います。

クラブ活動もあったので熱心に取り組んでいました。

大会にも出場したりなど。

秋になってクラブ活動も終わり、それからまた登校拒否に戻りました。

クラスはいじめっ子の影響からか雰囲気が悪かったし、

親とよく喧嘩するようになり、眠れない日々が続きました。

休みか保健室通いでした。それが卒業まで続きました。

中学生になったらちゃんと通うんだ、と思っていましたが

いじめっ子とは同じ中学校でした。

 

 

まさかのクラスも一緒。それでも新しい環境だったので

大丈夫、と思いました。

入学式後、担任に呼び出されました。

確かその時「君は小学生の頃あんまり学校に通えてなかったんだよね。何かあればすぐに相談していいよ」

的なことを言われました。

今考えるとめちゃめちゃ優しい言葉ですよね。

ですがその時私は教師から特別扱いされるのを嫌がっていました。

それは小学生の頃から

今まで放置していたくせに登校拒否になった途端優しくなったり、必要以上に話しかけてきたり、なんなんだ、勝手だなと。

その日は家に帰ってからもずっと考え事をしていました。

次の日学校に行って帰ろうとするとまた担任に呼び出されました。

「今日はどうでしたか?嫌なことはありませんでしたか?」

ありませんと答えてすぐに友達の元へ戻って帰りました。

毎日聞いてくるつもりなのかな?すごく怖いと思いました。

本当に今思うと親切心から聞いてくれているのだと思いますが

当時はすごく気持ちが悪かったです。ごめんなさい先生。

それが次の日も続いて、なんだか怖くてその日は眠れませんでした。

次の日熱が出て、学校を休みました。

中学校は頑張ると決めていたのに1度休むと

もう何もかもどうでもよくなりました。

将来どうなってもいい、とにかく1人になりたい。

それから学校に行けなくなりました。

 

 

そこからは毎日部屋に閉じこもり、食事もろくに取らない。

毎日朝までずっとネットして、朝の8時くらいになると寝て、

夕方起きる。みたいな、完全に昼夜逆転した生活を送っていました。

心配した親が通うことを勧めてくれたフリースクールにも通ったり。

そこのフリースクールの先生がとてもいい先生で、

フリースクールではいい思い出が沢山作れましたね。

でも友達を作るのに臆病になっていたのか

あまりコミュニケーションを取らないようになりました。

元々の人見知りもあったのですが更に酷くなっていて

コンビニとかで店員さんにお箸付けますか?って聞かれても

答えられないみたいな。そのレベルにまでなってました。

気づいたら中2になっていて、

その頃初めてTwitterをはじめて、Twitterでトラぶりなました。

昔過ぎてよくは覚えてないんですけど

あるユーザーのつぶやきを見て、自分のことを言っているんじゃないかっていう

被害妄想を起こしてしまい、結論から言うと凍結されましたw

被害妄想が2週間くらい続いて、母もどうしたの?って感じで自分のことを心配してた

と思うんですけど、ふっと我にかえるかのように収まって

普段の自分に戻りました。

おかしいな、とは思ってたんですけど特に気にせず過ごしていました。

中3になったとき、また被害妄想が始まりました。

親が自分のことを邪魔だと思っている、自分のことを殺そうとしている、早く家から出なきゃ、そう思い込み、家出をしました。

当時田舎で電車にもあまり乗ったことがないので徒歩で隣町まで行きました。

両親が必死に探して駆け付けて来たのですが

私は必死に逃げました。捕まって、私は家には帰らない、どこか遠くへ行くと言って

困惑した両親はじゃあ祖父母の家に行こうといって

車で6時間ほどかけて祖父母の家に行き、両親は仕事があったのでそのまま祖父母に私を預けて帰りました。

祖父母の家でも被害妄想を起こし暴れて、意味不明な言葉を叫び、殺そうとしてるんでしょ!?とか

色々叫んでたと思います。

そしたら誰かが通報したのか警察が来ました。

少し落ち着いて警察が帰った後、祖父母の家からも逃げ出しました。

それで近所の人に捕まってなんちゃらセンターに行きなさいと言われて(何センターだったか忘れた)

 行ったら、とりあえず車に乗りなさいと言われてそのまま職員の人と一緒に

病院に行きました。

待っている時職員の人が何歳なの?とか色々話しかけてくれてましたね。

その時の職員さんほんとご迷惑おかけして申し訳ない。

診察室に呼ばれて医師に名前分かる?何歳?今まで何してたの?ご両親は?

とか色々聞かれて。はい、あなたこのまま入院です。こっちへ来てください。

と言われて私は初めて保護入院という形で精神科に入院しました。

 

後半全く意味がわからないですよね。

私のことだと思えないくらいやばいです。

ざっと書くとこんな感じです。

入院生活については次の記事で書きます。